第15回研究会および2010年度定期総会に関して下記の通りご案内いたします。

■日時

2010年12月18日(土)10:00~13:45
 
■場所:

青山学院女子短期大学 本館3階 第一会議室

◇最寄り駅からの案内図
◇青山キャンパス案内図
 *ピンク色の部分が短大キャンパスです。
 

■プログラム

【第15回研究会】
◇第1報告(10:00~11:30)
 岩下誠(青山学院大学非常勤講師)
 「18世紀末イングランドにおける民衆教育の構造転換と女性
  ――サラ・トリマーとブレントフォード日曜学校の事例から」
 
◇第2報告(11:40~13:10)
 長谷川貴彦(北海道大学准教授)
 「パーソナル・ナラティヴ論の射程――女性史研究の方法をめぐって」
 
【2010年度定期総会】13:15~13:45
 *総会終了後、ランチ懇親会を開催する予定です。
 
 

■報告要旨

◆第1報告:岩下誠「18世紀末イングランドにおける民衆教育の構造転換と女性――サラ・トリマーとブレントフォード日曜学校の事例から――」
 
 日曜学校は、主として18世紀末から19世紀前半のイングランドで大規模に展開した、貧民・労働者階級子弟のための教育機関である。日曜日に読み・書き・算の基礎教育と宗教教育を無償で行った日曜学校は、マス・エデュケーションや公教育の前史としての意義を評価されつつも、「権利としての教育」とは対照的な「慈善教育」にとどまるものとして、教育史研究では概して否定的な評価がなされてきた。
 
 日曜学校を公教育史の前史として限定的な意義しか認めてこなかった教育史家に対して、その歴史的重要性を認めて関心を注いだのは、社会史家たちであった。60年代の社会統制論的な解釈に端を発し、70年代にはT.W.ラカーの研究が、日曜学校の階級文化的な側面を強調して従来の社会経済的な説明を刷新した。さらに近年の研究は、後期名誉革命体制下の社会変動に接近するための有力な手掛かりとして日曜学校に着目している。日曜学校を事例としてナショナリズムやモラル・リフォーム運動、ミドルクラスの形成、地域社会改革といった統治構造の動揺や変容を読み解こうとする最近の研究動向は、政治史と社会史・文化史が交錯する地点として歴史家の関心を集めていると言えよう。
 
 翻って教育史研究の側においても、日曜学校の意義が再審されつつある。公教育の歴史的概念規定や教授法の革新といった問題史的な関心を持つ教育史家たちもまた、前公教育・前近代学校といった日曜学校の通説的理解を修正し、日曜学校と19世紀公教育との関係を改めて問い直しつつある。
 
 換言するならば、統治構造の変容に迫ろうとする社会史的な研究と、学校制度や教授法の革新に関心を寄せる教育史的な研究がどのように接続されるかが、これからの課題であると言えよう。本報告は、サラ・トリマー(Sarah Trimmer, 1741-1810)という人物の日曜学校実践を検討することを通じて、上記のふたつの研究潮流の懸隔を多少なりとも埋めてみようとする試みである。トリマーは1780年代からミドルセックス州イーリング教区において日曜学校運動を展開し、貧民教育のための新しい教科書や教授法の開発に取り組む傍ら、高教会派国教徒として国教会による教育統制の必要を訴え、19世紀公教育の一翼を担う国教会系教育団体「貧民教育促進国民協会」の設立にも深く関わった。トリマーに焦点を当てることによって、ともすれば福音主義者に偏重してきた従来の研究を修正し、18世紀における日曜学校運動の多面的な意義を明らかにすると同時に、それが19世紀初頭の全国的な教育促進団体の形成や、国教会の教育供給主体への転換といった大きな構造変動とどのように関係しているかを、国教会高教会派という体制的な立場の側から照射してみたい。このことはまた、教育という枠組みから同時代の女性の社会的地位を検討する作業にもなるであろう。
 
<参考文献>
(1) 岩下誠「モニトリアル・システムの条件と限界―サラ・トリマーの教育思想と教育実践を通じて」 『教育学研究』第73巻第1号, 27-38頁, 2006年 
(2) 岩下誠「近代イギリス民衆教育史における日曜学校研究の意義と課題」東京大学大学院教育学研究科教育学研究室『研究室紀要』第33号, 123-130頁, 2007年
(3) 岩下誠「18世紀末のイングランドにおけるモラル・リフォームと教育―サラ・トリマーを事例として」『近代教育フォーラム』第16号, 95-110頁, 2007年
 
◆第2報告:長谷川貴彦「パーソナル・ナラティヴ論の射程――女性史研究の方法をめぐって――」
 
 21世紀に入り10年の歳月。イギリス女性史研究は、新たな展開を始めようとしている。そのひとつとしてあげられるのが、「新しい下からの歴史」(New History from Below)と呼ばれる潮流である。かつて、ホブズボームやトムスン、またヒストリー・ワークショップ運動と結びついて1970年代に一世を風靡した「下からの社会史」研究は、一時的に衰退するものの、現在、刷新されたかたちで復活しつつある。労働者や農民、ひろく民衆と呼ばれる集団の異議申し立て運動の叙述に代わって、女性、貧民、奴隷といった周縁化された人びとの経験を、彼/彼女たちの残した日記や手紙、自叙伝と体験談などのパーソナル・ナラティヴをもとに分析しようというのである。このパーソナル・ナラティヴ論は、言語論的転回以降の歴史学方法論のひとつの到達点ともいわれている。
 
 本報告では、パーソナル・ナラティヴ論を踏まえた「新しい下からの歴史」に焦点を当て、その方法論ならびに理論的射程をいくつかの事例に基づきながら紹介してみたい。最初に、近年、旺盛な著術活動を展開しているキャロライン・スティードマンやリンダ・コリーの作品を参照することにする。スティードマンは、女性史研究における自叙伝の役割を強調したことでは先駆的な存在であり、代表作『善き女性のための光景』(1986)はパーソナル・ナラティヴ論のなかで再び脚光を集めるようになってきている。他方、コリーは『イギリス国民の誕生』(1992)で歴史家として揺るぎない地位を獲得したが、近年はグローバル化のなかで虜囚となったイギリス人女性の体験談の分析を試みて、帝国史の新たな潮流を創りだしている。
 
 最後に、私自身の研究から貧民の語りに関する事例も紹介してみたい。中産階級や慈善をめぐる研究では、貧民たちは慈善の受け手としての受動的な「客体」として取り扱われ、その主体性は消去された存在となってきた。しかし、貧民の語る史料からは、貧民たちが、主体的に救貧や慈善という活動に関わっていたことが明らかとなる。その多くが女性からなる貧民たちは、独自の「物語の技法」を用いて自らの窮状を訴える手紙を執筆した。そうした書簡では、救貧当局の同情を引く言語を用いながら、「貧民」としての表象を巧みに構築していったのである。過去の無名の民衆は、私たちに何を語りかけているのか。研究会では、具体的な貧民の手紙のテクスト分析を踏まえて、いくつかの試論を行ってみたいと考えている。
 
<参考文献>
(1) 長谷川貴彦「ポスト・サッチャリズムの歴史学」『歴史学研究』846号, 2008年.
(2) 長谷川貴彦「物語の復権/主体の復権 ポスト言語論的転回の歴史学」『思想』1036号, 2010年.
(3) ピーター・バーク(長谷川貴彦訳)『文化史とは何か 増補改訂版』法政大学出版局, 2010年.
(4) G・ステッドマン・ジョーンズ(長谷川貴彦訳)『階級という言語 イングランド労働者階級の政治社会史 1832-1982年』刀水書房, 2010年, 特に「訳者解題・ニューレフト史学の遺産」.