【第19回研究会:シンポジウム「揺らぐ境界–セクシュアリティとジェン ダー」】

日時: 2012年12月16日(日)13:00〜

場所: 成蹊大学 10号館 2F 大会議室

◇最寄り駅からの案内図
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◇キャンパス案内図
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■プログラム

第19回研究会:シンポジウム「揺らぐ境界–セクシュアリティとジェン ダー」

代表挨拶・趣旨説明 (13:00〜13:15)

第一報告(13:15〜13:55)
川津雅江氏「ロマン主義時代における女性同士の愛、ジェンダー、セクシュアリティ」

休憩

第二報告(14:10〜14:50)
野田恵子氏「排除される親密性—イギリスにおける『純潔』とその境界」

休憩

コメント:清水晶子氏
質疑応答
全体討論   (15:15〜16:30)

閉会挨拶(16:30〜16:40)

【2012年度定期総会】(16:45〜17:15)

【懇親会】(17:30〜19:30ごろ)
会場:カフェ・ド・レジェール(成蹊大学正門前)←竹内代表おなじみのアットホームなお店です。
会費:4,000円(飲物代込)

★懇親会事前申込みのお願い:
予約の都合上、ある程度の人数を把握しておく必要がございますので、ご出席を予定される方は、11月30日までに、このメールアドレスまでご返信ください。なお、人数が増える分には構いませんので、もしそれまでにご予定がはっきりしない方でも、当日にご参加くださって大丈夫です。


【シンポジウムの趣旨】

セクシュアリティは人が「生きる」上で、きわめて重要な問題である。しかし、女性の歴史が1970年代の「新しい女性史」の展開まで長年にわたって「隠されて」きたように、セクシュアリティの歴史も「隠されて」きた。

セクシュアリティは、ジェンダーと同様に、歴史的に構築され、過去の人々の生活を、そして現在のわれわれの生活をも支配してきた。その構築の過程が、政治的であったり、権力と密接であったり、また、だからと言って、一方的に「上から」構築されるというものでもない、という点でもセクシュアリティの歴史とジェンダーの歴史は共通している。

セクシュアリティ史は、女性史・ジェンダー史に影響を受けつつ、また、大きく重なりをもちながら発展した。女性史・ジェンダー史の背景にフェミニズムの「第二の波」があるように、セクシュアリティ史の背景には性の解放運動やゲイ/レズビアンの権利を求める運動の興隆があることも忘れてはならない点である。

セクシュアリティ史研究とジェンダー史研究が重なりをもちながら、相互に刺激を与えながら発展してきたのは、セクシュアリティとジェンダーをめぐる言説が互いに深く結びつきつつ構築されてきたからである。同性愛においてジェンダーロールが援用されがちであることもそのひとつである。が、これも、古典古代のギリシャ性愛の例が示すように、常にそうであった訳ではない。デイヴィッド・ハルプリン(David Halperin)が言うように、それは、支配する者と服従する者の関係、能動的な者と受動的な者の関係であり、当時の人々は、性的なパートナーを男性であるか、女性であるか、ということで認識していた訳ではなかったのである。

セクシュアリティはジェンダーロールの構築にも強く影響を与え、女性や男性の行動規範を支配する。荻野美穂の研究が示すように、19世紀イギリスで、性的な欲望が強い女性は「病気」の診断を受け、治療が必要とされた。私自身のイギリス工場法の歴史研究においても、女性労働者のセクシュアリティは、「女にふさわしい仕事」を語る際に、今日であればセクシュアルハラスメントになるような言説として利用される事例がそこここに散見される。1870年代から1890年代にかけてTUC議長として活躍したヘンリ・ブロードハーストがしばしばこれを行った。

イギリス女性史研究会第19回研究会では、このセクシュアリティの問題をとりあげる。このことは、イギリス女性史研究会会員による研究成果の一部をまとめた『イギリス近現代女性史研究入門』(青木書店、2005年)に対し寄せられた批判のひとつである「セクシュアリティが取り上げられていない」ということに部分的にこたえることでもある。「部分的に」というのは、セクシュアリティの歴史が研究対象としてきたものは、売買春、避妊、人口政策、結婚内および結婚外における親密さ、など、多様で幅広く、そのすべてを扱うことは出来ないからである。
今回の研究会では、今日、なお強固なヘテロセクシュアリティを「正常」「正当」とする文化の形成に深く関わりがあり、またセクシュアリティの歴史研究の中でも大きな比重を占める同性愛の歴史を取り上げる。「正常」と「異常」、「正当」と「邪悪」、「合法」と「違法」の境界は、さまざまな状況の中で、揺らぎながら形成されていく。川津雅江氏「ロマン主義時代における女性同士の愛、ジェンダー、セクシュアリティ」、野田恵子氏「排除される親密性—イギリスにおける『純潔』とその境界」の2報告は、このことを見事に描き出してくれる。野田報告では、イギリスのシビル・パートナーシップ法施行後の状況にも言及される予定である。

コメンテータの清水晶子氏はクィア研究の現段階を紹介しつつ、この2報告の意義を大きな文脈の中で論じてくださる予定である。今回のシンポジウムに先立ち、2報告者とコメンテータで打ち合わせの会合をもったが、その際、私は、セクシュアリティの問題は、階級、エスニシティとも深く関わっていること、その点でもジェンダー史と共通であることを、学ばせていただき、視野が大きく開ける思いがした。

多くの方が第19回イギリス女性史研究会に参加してくださること、そして、議論に参加してくださり、学び合い、刺激しあい、それが今後の個々の研究に直接間接に反映されることを、願っている。(竹内敬子)


<各報告の要旨>

【川津報告】

「ロマン主義時代における女性同士の愛、ジェンダー、セクシュアリティ」

イギリスはヨーロッパで唯一女性同性愛に関する罰則規定がなかった国である。このことは、イギリスでは女性同性愛が容認されていたとか、19世紀末に性科学者が取り上げるまで女性同性愛者がいなかったということを意味するのではなく、ローレンス・ストーンが指摘するように、その存在が法律上も「公の(パブリック)意識」上も無視されていたことを示すであろう。

18世紀に遡ってみると、女性同性愛者の透明化の背後には、女性同性愛の外国説と異性間の性行為中心主義が潜んでいる。つまり、男性同士と違って、女性同士の場合、片方が両性具有者(こうした身体をもつ女性はアフリカなど暑い国に多いと考えられた)でなければ異性同士のような性行為は身体的に不可能であるから、イギリスの女性たちはどんなに親密な関係であろうとも、清らかな友情関係としてしか見なされなかったのだ。18世紀後期までには、このような女性間の友情は「ロマンティックな友愛」(Romantic Friendship)と呼ばれ、その性的でない関係が女性の貞淑や美徳のあらわれとして称賛されるようになる。その一方で、同じ頃から、イギリスの女性間の過剰に親密な関係の「異常さ」や「不自然さ」を指摘し、「サフィズム」(Sapphism)(現在の用法と同じく性的な関係を仄めかす「女性同性愛」の意で、初出はOEDが示すより100年以上遡る)を疑る声も出始めた。この報告では、イギリスのロマン主義時代(18世紀末期から19世紀初期)における実在の女性たちの日記や詩・小説などにおける「ロマンティックな友愛」と「サフィズム」の表象をとりあげ、女性間の愛、ジェンダー、セクシュアリティの問題を考えてみたい。

【野田報告】

「排除される親密性—イギリスにおける「純潔」とその境界」
近代は、性がそれまでにない次元で私たち身体や生を規定し条件づけた時代であるといわれる。とくに19世紀イギリスの厳格な性規範は、キリスト教の規範を自分のものとしない私たちには異質なものでありながら、他方で「近代」という名のもとに日本にも導入された規範でもあり、私たちにもなじみ深いものでもある。では、このようなイギリスの性規範は、どのようなもので、現代のセクシュアリティやジェンダーを考える際にどのような含意をもっているのだろうか。

本報告では、イギリスの性規範の核に存在する「異性愛規範」に焦点を当て、そこでの「同性愛」の抑圧と排除の構造を見ていく。具体的には、19世紀イギリスで起きた「社会純潔運動」を始点とする一連の動向、とくに「同性愛」を犯罪化した法として知られる刑法改正法(1885)の成立の経緯を追うことで、そこで何が問題と見なされ、どのような結果/効果をもたらすことになったのか、を確認したい。その際に注目したいのは、法の言説と医学−科学的な知、およびそれらとキリスト教の言説の関係性とその構造である。それらの関係性はセクシュアリティ研究においてたびたび指摘されるものだが、実際のところ19世紀イギリスという特定の場において3つの言説や知は、どのような関係性にあり、どのように複雑に絡まりあいながら、「同性愛」・「異性愛」という概念を生成させることになったのか、その意味と含意はいかなるものなのか、を考えたい。そのことによって、「同性愛」の抑圧と排除の構造とともに、現在イギリス社会で急速に進んでいる「同性愛」の取り込みの構造とその含意を考える手がかりにもしたい。