【重要】 今回は、会場のセキュリティーの関係で、「研究会のご参加」を事前にお申込みいただくことになっており、 「懇親会のご出席」とあわせて、この事務局アドレス(jwhn_adm@yahoo.co.jp)までご返信をお願いしたく存じます。 どちらもお申し込みの締め切りは、12月3日(水)までで、よろしくお願い申し上げます。
1)日時 2014年12月13日(土) 13時00分~17時00分
2)場所 東京駅八重洲北口改札口から徒歩2分「甲南大学ネットワークキャンパス東京」
初めての会場になりますので、お間違えのないよう、よろしくお願い申し上げます。
〒100-0005
東京都千代田区丸の内1丁目7-12 サピアタワー10F
http://www.konan-u.ac.jp/tokyo/access/
3)研究発表(報告要旨は下を ご覧ください)
林 葉子氏(大阪大学)
「イギリス救世軍機関紙にみる日本人女性の表象
―1900年代の日本の自由廃業運動との関わりに着目して―」
田村俊行氏(立教大学大学院)
「売春規制システムの導入による性感染症医療の変化——伝染病法(1864〜86)、医療、社会」
4)総会 16時30分~17時00分
5)懇親会 17時30分~20時00分
懇親会会場は、会場と同ビル内、サピアタワー 3階
トラットリア・パパミラノ (イタリアン)
飲み物代込 4,000円になります。
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林 葉子 氏
「イギリス救世軍機関紙にみる日本人女性の表象
―1900年代の日本の自由廃業運動との関わりに着目して―」
本発表では、救世軍本部(イギリス、ロンドン)の機関紙であるThe War Cry およびAll the Worldにおける日本についての紹介記事を資料として、1900年代の日本で救世軍が主導していた自由廃業運動に、イギリスの救世軍本部がどのように関与したのかを検証するものである。救世軍は1865年にイギリス・ロンドンでウイリアム・ブースよって始められたキリスト教団体であり、軍隊を模した組織と貧民救済活動への積極性を特徴とする。日本に支部がつくられたのは、1895年である。日本においては、1900年から、法律家や複数の新聞社と連携しながら日本救世軍が牽引した自由廃業運動(娼妓の廃業と貸座敷からの脱出を支援する社会運動)が、連日、日本の新聞各紙で報じられて、救世軍は、当時の日本の人びとに広く知られることになった。自由廃業運動は、遊廓における娼妓や芸妓への虐待を可視化し、日本における買売春の在り方に大きな変化をもたらす強い影響力を持った。
イギリスの廃娼運動家は、西欧諸国を中心とする国際的な廃娼運動の流れを形成する際に中心的な役割を担ったため、日本の廃娼運動史を世界史の中に位置づけるためには、日英の廃娼運動の比較、および、日英の廃娼運動の思想的影響関係を検証することが不可欠である。しかしこれまで、日本の自由廃業運動に、イギリスの救世軍本部がどの程度関与したのかという点については、研究されてこなかった。発表者は、日本の自由廃業運動に与えたイギリスの救世軍本部の影響力の範囲と、自由廃業運動における日本の独自性を明らかにするために、イギリスの救世軍本部の機関紙における日本関係記事に着目した。救世軍本部の機関紙には、イギリス帝国内のみならず、世界各地からの情報が寄せられて いたが、日本に関わる記事は、アジア関連記事の中では、比較的多かった。
その日本関連の記事の中でも、本発表では、特に日本人女性の表象に着目する。イギリスの救世軍関係者が、日本人女性、特に娼妓や芸妓をどのような存在として認識し、その認識の仕方が、日本国内における新聞報道や『ときのこゑ』(救世軍日本支部の機関紙)の内容とどのように異なっていたのかを、本発表では明らかにしたい。また、自由廃業運動について、イギリスの救世軍本部が、どの程度の情報を持っていたのかを検証することによって、救世軍本部が日本の自由廃業運動に与えた影響の範囲を特定したい。また、その日本人の表象を、救世軍機関紙における他のアジア諸国の人びとの表象と比較し、イギリスの救世軍本部が、アジアにおける日本の位置をどのように捉えていたのかという点 についても検証したい。
田村 俊行 氏
「売春規制システムの導入による性感染症医療の変化
―伝染病法(1864~86)、医療、社会―」
19世紀のイギリスを舞台にした売春史研究は、1970年代に転機を迎えた。第二波フェミニズムの影響を受けて盛り上がりつつあった女性学・女性史の中で、売春についても同じように、女性の視点からの、女性の活動に注目した歴史叙述がおこなわれるようになった。当時の代表的な研究者の一人である女性史家のJ.ウォーコウィッツの研究は、現在のイギリス売春史研究においても重要な位置に据えられ、のちの多くの研究によって参照されている。今回の報告では、これまでのイギリス売春史研究を振り返りつつ、従来の研究では十分に検討されてこなかった性感染症医療という点に注目したい。
ウォーコウィッツがその研究で注目したのは、伝染病法という、売春の国家管理を可能とした制度であった。この制度の下で「売春婦」とされた女性たちは、逮捕・拘束され、治安判事裁判を経て強制入院もしくは定期検診に応じなければならなかった。この制度ははじめ、軍の性感染症対策として複数の地域で導入されたものであったが、兵士の性の問題解決のために売春婦のみが検診を強制されるという点から、同時代の性差別のイデオロギーを体現した制度であるといえる。
しかしながら、「売春婦」とされた女性たちは、服従するばかりではなかったという。国家権力を背景にした医学による女性の身体と自由への介入、ウォーコウィッツは、これに抵抗する女性運動と売春婦たちを描いた。そしてそれは、「声なき犠牲者」「無抵抗の犠牲者」という消極的な「犠牲者」イメージで語られるヴィクトリア時代の女性や売春婦たちの主体性・自律性を描き出すという試みであった。
これに対し近年の研究では、売春問題をめぐる従来の研究について、いくつかの問題点も指摘されている。そのひとつが、男性権力と被支配/抵抗する女性という、二項対立的な局面を際立たせているというものである。L.ホール(2001)によれば、伝染病法をめぐる同時代の動向は、「男性対女性」という単純な構造では描ききれないという。当時、賛否両論が行き交っており、驚くべきことではないが、伝染病法を支持する女性や売春婦たちもいたのである。
また、これまでの研究では、医療行為の「支配」という側面が強調されてきた。F.モート(1987; 2000)は人々の性に積極的に介入する19世紀の医学のあり方を”medico-moral”と表現し、伝染病法をその最たるものとした。ウォーコウィッツは当時の性感染症医療の差別的性質、不当性を指摘しつつ、女性に対する医師の支配・権威的性格を強調した。しかしながら、伝染病法以前の社会において、性感染症の患者は一般の病院からは受け入れを拒否されることが多く、偽医者や、治療を謳う丸薬に頼らざるをえなかったという事実を踏まえれば、伝染病法について医師による「支配」という面のみ主張するのでは、不十分である。すなわち、19世紀後半における売春管理の問題を理解するためには、支配に対する女性たちの抵抗の歴史とともに、性感染症医療の必要性と社会という視点からの読みが必要となるのである。
以上の関心に基づいて、今回の報告では伝染病法が適用された地域のひとつであるAldershotに注目し、現地における伝染病法と性感染症をめぐる歴史をひもといてみたい。とりわけ、同法が導入される以前の医療の状況、同法に従事した専門の医師や関係者たち、廃止後に残された性感染症問題などを検討することで、伝染病法によって現地にもたらされた変化とその意味について論じたい。