第32回 イギリス女性史研究会ご案内

 皆さま、新年度が始まり慌ただしくお過ごしのことと存じます。

 イギリス女性史研究会は、6月8日(土)に第32回研究会を名古屋で開催いたします。今回は、自由論題報告として3人の方から意欲的なご報告を頂く予定になっております。

 また今回は、今日まで長らく当研究会を牽引してくださっている水田珠枝先生が設立に尽力された名古屋大学ジェンダー・リサーチ・ライブラリ(GRL)で初めての開催となります。希望される方は、研究会前の午前中、GRLを見学できるよう企画しており、水田先生がご案内くださることになっております。貴重な機会ですので、研究会だけでなく、GRL見学にもたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。

 

【重要】 会場の準備の都合がございますので、会員のみなさまには、「 6月1日(金) 」までに、「研究会のご参加」と「懇親会のご出席」共に、下の URL からお申し込みください。

https://jwhn.org/study/form.html

※ イギリス女性史研究会では、子育て中の研究者を応援しています。赤ちゃん連れの参加にも、ご理解をお願いします。

     記

第32回イギリス女性史研究会

日時:2019年6月8日(土)13時30分~16時30分
   11時~ ジェンダー・リサーチ・ライブラリ見学(自由参加)
   12時~ 受付開始

場所:名古屋大学 ジェンダー・リサーチ・ライブラリ(GRL)
http://www.grl.kyodo-sankaku.provost.nagoya-u.ac.jp/
レクチャールーム(メイン会場)、会議室(サテライト会場)

 

🔹プログラム🔹

11時~ ジェンダー・リサーチ・ライブラリ見学(自由参加)
12時30分~12時50分 臨時総会
12時50分~13時   水田珠枝 GRLと女性史研究

13時5分~14時5分  報告① 亀口まか(龍谷大学)
   「河田嗣郎の男女平等思想とイギリス女性論」
   司会 梅垣千尋(青山学院女子短期大学)

14時10分~15時10分 報告② 溝上宏美 (志學館大学)
「第二次世界大戦後のイギリス植民地における社会開発政策と女性」
   司会 奥田伸子(名古屋市立大学)

  休憩

15時30分~16時30分 報告③ 坂口美知子(獨協医科大学)
「BBC Woman’s Hourにみるイギリス第二次世界大戦後の女性史の歩み」
   司会 川津雅江(名古屋経済大学)

 

【第1報告】

河田嗣郎の男女平等思想とイギリス女性論

亀口 まか

要旨:

明治末期から昭和戦前期にかけて活躍した経済学者・社会政策学者であり、大阪商科大学(現大阪市立大学)の初代学長を務めた河田嗣郎(かわだしろう,1883-1942)は、女性への視座を学問研究の中に位置づけ、女子教育における良妻賢母主義批判、女性の参政権獲得、そして男女の賃金格差是正をはじめとする女性労働者の待遇改善を主張するなど、男女同権の立場から男女平等を唱えた人物である。河田は、女性の政治的経済的自立を熱心に論じた一方で、女性労働者に対する母性保護の必要性を訴えた。河田の主張は、平塚らいてうから激しい批判を受けるなど、同時代の女性解放思想との接点を生み出していった。

これまでの河田に関する研究は、研究領域または論点ごとにある程度注目はされてきたものの、それらは断片的な検討にとどまってきた。それに対して報告者は、近代日本の男女平等思想の一潮流として、河田の生涯と思想を考察の対象に置き、そこに流れる河田の性別認識の解明を試みてきている。

本報告では、社会問題、社会政策に関する数多くの河田の著作の中で散見される「婦人問題」・「婦人労働問題」に関する議論を、とくにイギリスとの関係において考察してみたい。河田の思想と行動を跡づけると、学究生活の初期にジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill,1806-1873)のThe Subjection of Women(1869)に強く影響を受け、『婦人問題』(1910)を執筆した。河田はミルに依拠しながらも、一方でミル以上に男女の差異を自然とみなすことを否定し、教育、職業、労働、政治等のあらゆる分野を貫く独自の男女同権論を主張していたことがうかがえる。

また、河田は1912(明治45・大正元)年8月17日から1915(大正4)年4月21日までの2年8ヶ月間、欧米に留学した。留学先のイギリスで第一次世界大戦前後のイギリスの女性労働者の状態を目の当たりにした河田は、女性労働者の問題とその組織化に強い関心を置くようになっていった。留学後に取り組んだ「婦人労働問題」研究の一環として、男女の賃金格差是正を唱えた論稿「男子の賃金と女子の賃金」(1920)は、ビアトリス・ウェッブ(Beatrice Webb,1858-1943) のThe Wages of Men and Women: Should They Be Equal?(1919)を理論的根拠に用いたものであった。それは、山川菊栄の抄訳に先駆けて発表されたものであったことが認められる。以上、本報告では、河田の思想と行動を、イギリスとの関係から検討し、近代日本の男女平等思想としての特質を指摘する。

 

【第2報告】 

第二次世界大戦後のイギリス植民地における社会開発政策と女性

溝上 宏美 

要旨:

 第一次世界大戦後、イギリス植民地省は伝統的な「間接統治」から離れ貧困などの植民地の社会問題に対応するため、開発や教育、福祉といった形で植民地社会に介入するようになった。先行研究が指摘するように、このような植民地社会への介入は、第二次世界大戦中の本国での「政府の拡大」に伴いさらに制度化され、社会科学の専門家の知見を導入した本国での手法が植民地へも適用されるようになった。1943年、植民地省は初めて植民地での社会福祉政策を扱う植民地社会福祉諮問委員会を任命した。この諮問委員会は第二次世界大戦終結後も存続し、植民地政府に対して社会福祉や大衆教育などの実行を促していく。

 第二次世界大戦が終結すると、この植民地における社会政策は、同時期に進められていた開発とともに、本国経済およびイギリス帝国・イギリス連邦の維持にとって、新たな重要性を帯びることになった。国際的に植民地支配が「時代遅れ」とみなされ、将来の自治や独立を前提に現地の人々に対する「シチズンシップ教育」の重要性が認識されるとともに、共産主義や反英・独立運動への懸念が高まる中、植民地省は現地の人々の「人心」を馴致するために、社会福祉政策、中でも、現地の人々の「自発性」に基づく活動の促進を重視するようになった。その中で、1940年代末から1950年代にかけて、大衆教育が、次第にグループワークなどの現地の人々の「自発的」活動を促す社会福祉政策と統合され、コミュニティ・デヴェロップメントや社会開発という新たな概念が誕生した。

 先行研究であまり着目されていないものの、実は、この過程において、現地女性への着目が急激に高まることになった。1950年には、植民地省内に植民地での女性のボランティア活動に関する実態を把握する作業部会が設置され、植民地省の女性教育政策顧問となっていたフレダ・グウィリアムを中心に本国の女性団体の代表が集まって、植民地における女性団設立の可能性を探ることになる。さらに、特にマラヤやケニアといった独立運動の激しい地域においてコミュニティ・デヴェロップメントへの注目が高まった1953年に設置された社会開発諮問委員会では、グウィリアムを長として女性の活動を検討する小委員会が設置された。本報告は、以上の作業部会および女性の活動に関する小委員会が設置された経緯とその活動を検討することによって、帝国支配時代に始まった「支援」が脱植民地期の社会開発という文脈を経て第三世界への援助へと移行する時期の本国による現地女性の位置づけと、本国志向の政策がはらんだ矛盾と限界を明らかにする。

 

【第3報告】

BBC Woman’s Hourにみるイギリス第二次世界大戦後の女性史の歩み

坂口美知子

要旨:

1946年10月7日に放送開始されたイギリス国営放送(BBC)のWoman’s Hourは、”serving women’s interest.” というモットーを掲げて、その時々の”woman’s interests”を作り手側聞き手側の双方から模索しながら、SNS到来の遥か以前より、双方向型の女性の「場」を作り上げてきた。それは、イギリス国内だけでなく世界各地で起こっていた、平等、機会均等女性の権利を要求するwoman’s movementといった大きな物語をいち早く反映させる内容であっただけでなく、女性の内面のユニークさや普遍性に寄り添って、「女性性」を歴史的な流れの中で再定義する機会を、「広く、一般の」リスナーにもたらしたといえる。

本報告では、まずWoman’s Hourに先立つ、1920年代のラジオ放送勃興期に「女性の余暇を彩る」ために始まった女性向けラジオ放送番組制作時のBBC幹部の方策と、最初の女性プロジューサーElla Fitzgeraldの交渉や彼女の提案で1924年に行われた世論調査等について述べ、”woman’s interests”に関する作り手側と聞き手側の齟齬について考える。その後、’woman’s”という語をめぐる戦略の頓挫・挫折を経て、新たに戦後1946年にlight program としてのWoman’s Hourは誕生するが、その発展に大きく貢献した女性プロジューサーJanet Quigley の方針と成功の要因について考える。Woman’s Hourの長きにわたる成功の秘訣は、初期の段階から聞き手とつながり聞き手に呼応することで「絆」といえるものを作り上げたことであるが、この方策はQuigleyによって確立された。実際に一般リスナーを放送に参加させるなどして、「女性の声」を広く影響力のある放送にのせたのである。

Woman’s Hour はその後、放送時間の模索等を経て、現在の定型に収斂され、男性リスナーも取り込んで発展とげてきた。扱われる話題は、その時々の時代を反映し、または先取りして論争を引き起こしたりしつつ、広い聴衆に向けての「中立性」「伝統の継承」と「革新性」「時代への警鐘」といった危ういバランスを保ちながら、Woman’s Aid, Fawcett Societyといったフェミニズム団体とも協同して、今日の”woman’s interests”を模索し追求し続けている。この番組の歴史と意義を、同時期の女性史全体の流れの中で検証したい。

 

■懇親会

6 月 8 日(土)  17:30 ~ 19:30
会費  一般 5000 円、院生 4000 円 
会場  鶏鉄板料理 かしわ(http://www.salt-inc.co.jp/kashiwa/

【現地連絡先】 並河携帯  090 - 3624 - 3744

  ※≪会からのお願い≫

私たちの活動は会員の皆様方の会費と寄付に支えられております。
おかげさまで、会誌『女性とジェンダーの歴史』も第6号を刊行いたしました。しかし、研究会の活動をさらに強化していくためには、皆様のお力添えが必要です。引き続き 会員継続と会費の納入 をお願い申し上げます。
年会費は下記の通りです。

一般会員:3000円 /院生:2000円<

以上