第33回 イギリス女性史研究会ご案内

 酷暑は過ぎましたが、九州地方を中心に梅雨の時期から大雨が続いております。会員の皆さまにはお変わりございませんでしょうか。今しばらく不順な天候が続くようですが、大きな被害が出ないことを祈っております。
 さて、12月のイギリス女性史研究会の第33回研究会は、以下の要領で開催されます。今回は18世紀の女性の旅行記についてのシンポジウムとなっております。
文学と歴史の刺激的な対話となりますよう、多数の皆さまのご参加をお待ちしております。

【重要】  会場・レジュメ等の準備の都合がございますので、 会員のみなさまには、「 11月20日(水) 」までに、「研究会のご参加」と「懇親会のご出席」共に、下の URL からお申し込みください。

https://jwhn.org/study/form.html

※ イギリス女性史研究会では、子育て中の研究者を応援しています。赤ちゃん連れの参加にも、ご理解をお願いします。サテライト会場(スカイプで会場と接続)もご用意しております。
※≪会からのお願い≫ 私たちの活動は会員の皆様方の会費と寄付に支えられております。 おかげさまで、会誌『女性とジェンダーの歴史』も第6号を刊行いたしました。
しかし、研究会の活動をさらに強化していくためには、皆様のお力添えが必要です。引き続き 会員継続と会費の納入 をお願い申し上げます。
  年会費は下記の通りです。 一般会員:3000円 /院生:2000円

クリックするとPDFをご覧いただけます

第33回イギリス女性史研究会

日時: 2019年12月7日(土) 13時~17時30分
場所: 青山学院女子短期大学 S101(メイン会場) S103(サテライト会場)
懇親会: 18時~20時 (会場未定)、 会費: 有職者6000円程度、学生3000円程度

🔹プログラム🔹

趣旨説明 13時~13時10分  志渡岡 理恵 (実践女子大学)

報告① 13時10分〜13時40分 
「女性たちの大西洋往還と創作の磁場―ポカホンタス、ベーン、モル、ウィンクフィールド」
原田範行(慶應義塾大学)

報告② 13時45分〜14時15分  
「歴史の現場からのリポート――1840年以前に出版された女性の旅行記」 志渡岡 理恵

小休憩

報告③ 14時25分〜14時55分  
「啓蒙とロマン主義の「文人」たち――「長い18世紀」のスコットランドと女性の旅行記」
松井 優子(青山学院大学)

報告④ 15時〜15時30分
「旅の変容と変貌するネイション――アイルランドが育む女性の言説」   
中村 哲子(駒澤大学)

休憩

コメント 16時〜16時30分                                指 昭博(神戸市外国語大学)

質疑応答  16時30分〜17時20分

懇親会   18時~20時

以上 

 

イギリス女性史研究会シンポジウム 梗概
「長い18世紀」の女性の旅のナラティヴ

旅は、文学の大きなテーマのひとつである。文学作品では、様々な人物の移動が描かれ、それを転換点としてストーリーが展開していくことが多い。旅行が一般的な娯楽ではまだなかったヴィクトリア時代以前の作品についてもそれは当てはまる。

女性作家・読者が増加し、女性の旅行記が出版されるようになった「長い18世紀」において、女性の旅はどのように語られたのだろうか。本シンポジウムは、この時期の女性の旅のナラティヴに注目し、そのありようを歴史的コンテクストにおいて考察する試みである。

 

【報告①】
女性たちの大西洋往還と創作の磁場―ポカホンタス、ベーン、モル、ウィンクフィールド
原田範行

 17世紀から18世紀にかけてのイギリス文学は、小説という表現領域の誕生と発達を一つの重要な特色とするが、当時の作品のヒロインたち、あるいは女性作家自身が、大西洋を往還する形でこの動向に深く関わっていたことに関する本格的な研究は決して多くはない。革命期の混乱と市民社会の形成というイギリス側の脈絡と、「新世界」の開拓に専念していたアメリカ側の事情とが、こうした女性たちの大西洋往還を看過する要因になっていると思われるが、彼女たちの語りとその影響関係に注目する時、そこには、女性や植民地の表象にかかわる特質はもとより、シンボリズムやリアリズム、ストーリー展開、内面意識、信仰、道徳、規範意識、人間観、宇宙観、さらにはジャンル横断の可能性など、後の文学表現のエッセンスと考えられる諸項目についてのかなり自由な描写の試みがうかがえる。今回は、こうした女性たちの大西洋往還とそこに生まれた創作の磁場を考察するための輪郭をまずは明らかにし、登壇者やフロアの方々とのディスカッションにつなげたい。扱う主な登場人物および作家は、17世紀初頭にヴァージニアからイギリスに渡ったポカホンタス(レベッカ・ロルフ)、自らスリナムに渡った経験を持ち、アメリカを舞台とする『オルノーコ』(1688)や『ランター夫人』(1689)を執筆したアフラ・ベーン、イギリスで身を落としヴァージニアで再生を果たすヒロインの軌跡を描いたダニエル・デフォーの『モル・フランダース』(1722)、そして、従来はこのデフォーの「ロビンソン物語群」の一つとされることが多かったものの、そこからは大きく異なるアンカ・イライザ・ウィンクフィールドの『フィーメイル・アメリカン』(1767)である。

【報告②】
歴史の現場からのリポート――1840年以前に出版された女性の旅行記
志渡岡理恵

2014年7月にチョウトン・ハウスで開催された女性の旅行記に関する学会を機に、データベースDWTWが、1780年から1840年の間にブリテンとアイルランドで出版された女性の旅行記204作品すべての書誌情報を提供し始めた。学術誌『ウィメンズ・ライティング』は、2017年第24巻第2号において女性の旅行記の特集を組み、その巻頭論文でベンジャミン・コルベールは、自らが構築したこのデータベースの分析を行っている。

本発表は、まず、コルベールによるデータベース分析を基に、1840年以前に出版された女性の旅行記を概観する。 カール・トンプソンが指摘するように、1980年代にアンソロジー編纂から始まった本格的な女性の旅行記研究は、少数のエキセントリックな女性だけではなく、多くの女性たちが多様なコンテクスト、様式、旅程、態度で旅していたこと、また、彼女たちの旅は、ジェンダーばかりでなく、人種、年齢、階級、経済状況、教育、政治思想、時代といった複数の要素に影響を受けていたことを明らかにした。こうした先行研究を踏まえ、コルベールは、データベースの作品群の著者や文体、内容を調べ、統計をとり、初期の女性の旅行記の全体像を把握しようと試みている。

次に、データベースの中から、アメリカ独立と関連の深い、18世紀末に出版された2つの女性の旅行記をとりあげ、女性の旅のナラティヴとジェンダーの問題について考察する。とりあげるのは、アメリカ独立戦争で困窮したブラック・ロイヤリストをシエラレオネへ移住させるプロジェクトの現地責任者の妻アナ・マライア・ファルコンブリッジと、新たな流刑地オーストラリアへ物資を運ぶ軍艦の艦長夫人メアリ・アン・パーカーの航海記である。アメリカ独立は、その余波としてどのような事象を生じさせ、女性たちにどのような旅を経験させたのか、女性たちはその経験をどのように語ったのか、ジェンダーはそれにどのように関わったのか、考えたい。

【報告3】
啓蒙とロマン主義の「文人」たち――「長い18世紀」のスコットランドと女性の旅行記
松井優子

1707年のグレートブリテン、1801年の連合王国の成立をはさんだ「長い18世紀」は、スコットランドにとって、文明や人間社会をめぐる考察とともに、新たなアイデンティティの確立や模索が試みられた時代でもある。それは、最も明確には、学問的にはスコットランド啓蒙思想として、また美学的にはロマン主義文学への貢献として表れ、従来、それらは、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミス、ロバート・バーンズやウォルター・スコットら、「啓蒙の文人」たちや男性作家を中心に理解されることが多かった。確かに、高等教育の機会を得ることの少なかった女性たちは文人という概念からははずれがちだが、一方で、「文人」たちの著書や彼らとの直接的な交流に家族関係、あるいは、いずれもエディンバラ発祥のパノラマや『ブリタニカ百科事典』等を通して、当時の文明観や人間観に触れる機会は多かったと思われる。加えて、スコットランド社会を扱った小説が文学史に一時代を画したこの時代、女性作家たちの作品はその重要な一部を形成してもいた。そうした女性たちは、啓蒙的な知のありかたやロマン主義的なスコットランド像にいかに関与していたのだろうか。

 この時代は同時に、植民地官僚や軍人としての国外への移動の増加に加え、スコットランド自体が旅行先として発展した時代でもある。そこで、ここでは、スコットランドとかかわりの深い女性作家たちの国内外の旅のナラティヴを通して、上の問題について考えてみたい。主に、北米で少女時代を過ごし、スコットランド高地地方に滞在したアン・グラント(1755-1838)、チリやブラジルを訪れたマライア・グレアム(1785-1842)、スコットランドを巡ったエリザベス・スペンス(1768-1832)らの旅行記を取り上げ、啓蒙期やロマン主義スコットランドを一つの結節点とした知と想像のネットワークのなかで、これら女性の「文人」たちの旅をとらえられればと考えている。

【報告4】
旅の変容と変貌するネイション――アイルランドが育む女性の言説
中村哲子

 アイルランドは人が流出するところとして長く認識され、そのディアスポラの抱えるアイリッシュネスは、書き物という記憶に残る形で受け継がれてきた。それにはその声を公にできる環境が必要となるが、カトリックのアイルランド人が旅行記を出版できるようになるのは、カトリック解放法(1829年)を経てのことであり、移民にとってはさらなる時が必要であった。それ以前の旅のナラティヴは貴族を中心としたアングロ・アイリッシュによるものが主であり、彼らの視線は往々にしてウェールズ人やスコットランド人のそれと同様にイギリス的なものだとする指摘がある。長い18世紀、アイルランドは不在地主で知られる土地でもあった。

 女性の声が世の中に届くのにも時が必要であった。イギリス人でアイルランドに長く住んだメアリ・ディレイニー(1700-88)やアイルランド生まれのキャサリン・ウィルモット(c.1773-1824)の旅の語りが刊行されたのは、19世紀半ばすぎから20世紀にかけてである。

 また、アイルランド発信の旅のナラティヴが読者をどこに求めていたかにも目を向ける必要がある。書いたものは通常ロンドンから出版され、グレートブリテン島の読者に焦点を合わせることが多かった。アイルランドの旅のナラティヴとは何か。そしてそこに、女性はどう発言のスペースを確保していたのであろうか。

 英文学の領域でアイルランド在住の作家が注目される最初の時期は、1801年にアイルランドがブリテンに併合された頃である。ナショナル・テイルの書き手として知られるマライア・エッジワース(1768-1849)とシドニー・オーエンソン(c.1783-1859)は、イギリス人男性の書いたアイルランド旅行記に敏感に反応しながら、小説、旅行記、書評などを書いている。彼女たちの旅の語りに込められたメッセージについて考えてみたい。

以上