◆◆イギリス女性史研究会・第28回研究会 および 新企画「古典を読む会」◆◆

第28回研究会

■日時 6月10日(土) 13:00~17:20

場所 甲南大学(岡本キャンパス) 2号館221教室
(最寄駅 阪急 岡本駅、JR摂津本山駅 徒歩10分)
交通アクセス http://www.konan-u.ac.jp/access/
(正門から入って左手、図書館奥の建物の2階です)
キャンパスマップ http://www.konan-u.ac.jp/access/campus.html

■プログラム

13:00~13:05 代表あいさつ・事務連絡
13:05~14:05
 第1報告 山田千聡氏
 「イングランドの家政書と明治期の翻訳本におけるジェンダー規範-『家内心得草』の比較検討を中心に-」
  司会 並河葉子氏
14:05~15:05
 第2報告 田村俊行氏
 「「強制」治療の網の目―接触伝染病予防法廃止後のロンドンロック病院を事例に」
  司会 金澤周作氏
15:05~15:20 休憩
15:20~16:20
 第3報告 松本由起子氏
 「世紀転換期の教育・階級・ジェンダーを公立教員養成に見る:Pupil-Teacher Centreと精神分析家エラ・フリーマン・シャープをめぐって」
  司会 岩下誠氏
16:20~17:20
 第4報告 伊藤裕子氏
 「ヴァージニア・ウルフと嗅覚的表象-身体と空間の想像的構築をめぐって―」
  司会 川津雅江氏
18:00-20:00 懇親会

■懇親会

6月10日(土) 18:00~20:00
会費 4500円 (院生・学生は3500円)
会場 バー・ラフィナート(JR芦屋駅前)
 http://raffinato-ashiya.com/b/access/
 (前回大好評だったラフィナートです。JR芦屋駅の目の前です。新大阪まで新快速で20分。三ノ宮まで新快速で6分。新神戸まで乗り換えで25分程度)

懇親会ご出席の方は、6月2日(金)までに、下のURLから「出欠席登録フォーム」に必要事項をご記入しお手続きください。直前の取り消しの場合は、キャンセル料が発生しますのでご注意ください

https://jwhn.org/study/form.html

「古典を読む会」

■日時  2017年6月11日(日) 10時00分~12時00分
場所  甲南大学神戸キャンパス 2号館 221教室(土曜日の研究会と同じ会場)
  第1報告 藤川沙海氏 「水田珠枝著『女性解放思想の歩み』を読む」
   コメント 水田珠枝氏
  第2報告 松浦京子氏 「今井けい著『現代イギリス女性運動史』を読む」
   コメント 今井けい氏
司会 高田実氏

■研究会報告要旨

第1報告 山田千聡氏「イングランドの家政書と明治期の翻訳本におけるジェンダー規範-『家内心得草』の比較検討を中心に-」

本報告では、イギリスで出版された家庭経営の指南書『ビートン夫人の家政読本』(1861)の抄訳本『家内心得草:一名・保家法』(1876)を中心に、明治維新後に出版された翻訳家政書におけるジェンダー規範を考察する。シンシア・ホワイトやマーガレット・ビーサムによって、19世紀イギリスで刊行された女性向け雑誌や家政書に光を当てた研究が進められた。中でも、中産階級女性を主とする読者からの絶大な支持を得た『ビートン夫人の家政読本』に於いては、日英両国の歴史・文化研究者が当時の出版事情に与えた影響や詳細かつ膨大な家庭経営術に関する記述に着目してきた。

『家内心得草:一名・保家法』は、レシピが大半を占める『ビートン夫人の家政読本』の家庭経営に関する内容のみが抄訳されたものである。ビートン夫人によって描かれたヴィクトリア朝社会の理想的な女主人像は、日本社会の文脈に沿う形で男性に替わって家事を治める明治の「主婦」像へと変貌を遂げる。訳者の穂積清軒は、洋学を修めて幕府の翻訳方として活躍した藩士であった。彼は原典の意図を酌み取りながら、家庭における女性の心得を説くことに徹底している一方、女性の呼称を役割に応じて変化させる工夫を凝らしている。本報告では、『家内心得草:一名・保家法』の記述内容や訳語の分析に注力することで、イギリスに由来する男女役割分業の概念が明治初期の社会構造や時代風潮に合わせてどのように表象されたのか検討することを目的とする。

日本では明治時代に入ると、イギリスを中心とする西欧諸国やアメリカから流入した書物が政府の命により次々に翻訳された。その過程で誕生した翻訳家政書が教育現場の教科書として採用されたことに加え、学校教育科目である「家事経済」や「家事」で使用される教科書の内容に影響を与え、家政教育の発展に寄与したことが家政学分野の先行研究で指摘されている。ゆえに、家政書の多くが家長である男性に向けて書かれていた江戸時代とは異なり、翻訳家政書は実際に家事を行う女性を読者として想定することになり、欧米社会で育まれた家政知識やジェンダー規範が翻訳家政書を通じて日本の女子教育現場に浸透していったと考えられる。この一連の流れは、明治維新後の西洋文化受容の一過程と解釈することが可能であろう。本報告では、『家内心得草:一名・保家法』の他に、江戸から明治時代に刊行された翻訳家政書の内容にも触れ、当時のジェンダー規範に対する認識の変化や揺らぎを明らかにしたい。

第2報告 田村俊行氏「「強制」治療の網の目―接触伝染病予防法廃止後のロンドンロック病院を事例に」

イギリスにおいてはじめて売春婦を国家の政策の中で法的に規制(管理)した接触伝染病予防法(CD法)は、ジョセフィン・バトラーらの議会外活動と、ジェイムズ・スタンスフェルド議員らの廃止に向けた取り組みが実を結び、1886年に廃止へと追い込まれた。この性病に罹患した女性に強制的に治療を施すという歴史的事件について、これまで女性史・ジェンダー史の視角から多くの研究成果が生み出されてきたが、その一方で、医療史の側からも一定の関心が寄せられてきた。先鞭をつけた女性史家のジュディス・ウォーコウィッツによる研究(1980年)のあと、医療史家たちはCD法以後の性病医療政策の実態解明に関心を注ぎ、またイングランド以外の地域についても調査が進められた。これらの諸研究により、19世紀末から20世紀までの性病医療の歴史は確実に厚みを増したと言える。

さらに、より近年の研究は、これらの諸研究の蓄積の上に立ちつつ、性病医療の近・現代史像にかかわる重要な指摘をしている。たとえばパメラ・コックス(2007年)は、20世紀に実施された性病政策においても、治療の「強制性」というCD法的な性格は性病医療の現場に存続していたとし、性病医療がイギリス的な「ヴォランタリズム」の治療に回帰したと説く従来の研究に異議を唱えている。また、イギリス国内や帝国での売春婦・性病罹患者対策を広く検討したフィリップ・ハウエル(2009年)は、従来の研究のようにCD法を性病医療の歴史における「異例」として特別な位置に「安置する」のではなく、より広く多様なレヴェルで実践されていた規制のうちのひとつとして捉え直すべきであるとしている。これら近年の研究は、売春婦と性病罹患者の歴史が、統治の爪痕が深く長く刻み込まれた歴史であることを、あらためて示すものであろう。

今回予定している発表では近年の動向を踏まえ、強制性の継続、民間レヴェルの活動をポイントに、ひとつの具体的な事例を提示したいと思う。取り上げるのは性病専門病院として活動していたロンドンのロック病院である。ロック病院はCD法の際に国に全面的に協力し、その実施を支えていた主要な民間病院のひとつであったが、このCD法の経験の中で作り出された独自のネットワークは、ロンドンの売春婦・性病罹患者を絡めとる仕組みとして、CD法が廃止されたあとも機能し続けたのである。今回の発表では、このネットワークがいかにして作られたのか、ロンドンのどの程度のエリアにまで及んでいたのか、どのようにして患者に治療を迫ることができたのかについて提示したい。

第3報告 松本由起子氏「世紀転換期の教育・階級・ジェンダーを公立教員養成に見る:Pupil-Teacher Centreと精神分析家エラ・フリーマン・シャープをめぐって」

19世紀半ばに導入され義務教育導入初期に多用されたpupil-teacher制は、公立小学校卒業時に選抜をへて、pupil-teacherとして安い給与で勤務しながら勉強を続け、教員養成カレッジ入学を賭けて奨学生試験を受け、カレッジを卒業すれば正規教員になれるというもので、しばしば自力で中産階級の地位を確保しようとする女子に利用された。Pupil-teacherたちが奨学生試験に向けて集団教育を受けたPupil Teacher Centreは、公立小学校という労働者階級を対象とする教育機関から専門職の女性という出生階層における一種のエリートを産出した場であり、当時の女性と教育と就業をめぐる社会の眼差しや力動を鋭く反映する場であったことを踏まえれば、重要な検討対象であるが、その実態や制度としての終焉をめぐる展開については、公教育が主に地方自治体の管理下にあった時期にあたることもあって情報が集約されておらず、これまで研究が少なかった。

本発表では、ひとりの女性、斜陽の繊維産業に従事する労働者階級の両親の元、1875年に生まれ、リベラルな工業都市ノッティンガムが先進的公教育を行なうなかでpupil-teacherをへて教員になり、Pupil Teacher Centreの校長相当に引き抜かれて安定した地位を得たが、20世紀初頭からの中央集権的流れによってPupil Teacher Centreの廃止/中等教育化に直面し、教員に見切りをつけ、後年、英国初期精神分析界の重鎮になったエラ・フリーマン・シャープ(Ella Freeman Sharpe 1875-1947)をめぐるマイクロヒストリーを通じて、世紀転換期の教育・階級・ジェンダーを、とくに倫理の側面から考えてみたい。

シャープ一家は「非国教徒のハブ」とも呼ばれるサフォーク州の貧しい繊維産業の町を出て、ノッティンガムの中心部、開業したばかりのトラムが発着する広場に面する、非国教徒に端を発するテンペランス運動に連なり、労働者への教育的配慮と労働者の向上心と商業性が混在する「コーヒーハウス運動」に属すカフェから飲食業に参入し成功、不動産取得を経て、中産階級化した。一方、教員養成教育はジェンダー化されており、女子pupil-teacherには出身階層とは異なる中産階級的振る舞いと倫理観が求められた。そして、Pupil Teacher Centreは第一次大戦に向けて愛国教育に傾いていく。本発表では、この3つの流れを、シャープと家族をめぐって具体的に辿ることで関連づけ、pupil-teacherという選抜をへた一種のエリート労働者が中産階級的倫理を積極的に内面化することで経済的・社会的安定を求めた状況と、それが利用された構造を、同時期にさまざまなかたちと濃淡をもって語られた「優生学」を背景に置きながら論じる。

第4報告 (伊藤裕子氏)「ヴァージニア・ウルフと嗅覚的表象-身体と空間の想像的構築をめぐって―」

モダニズム研究史上、今日注目されている視点のひとつが「感覚(五感)」である。感覚の哲学的意義に関しては、ミッシェル・セールがFive Sensesをはじめとする著作において、感覚的視点からの哲学を展開し、セールの著作が昨今におけるモダニズム研究における感覚的視点からの考察を理論的に支えている。これまでのモダニズム研究史のなかでも明らかにされてこなかった嗅覚的表象に読み取れるモダニズム芸術の特質とは何であろうか。別の言い方をすれば、モダニズムはいかに嗅覚的表象を独自の芸術的表現に取り込んだか、また意識的ではないにせよ、芸術に表現される嗅覚は彼らの芸術思潮にどのように取り込まれてきたのであろうか。

フロイトが1930年代に展開した文明論のなかで、人間が直立歩行を始めて以来、嗅覚よりも視覚の重要性が増したと仮説を立てている。セールも指摘する通り、嗅覚は他の感覚にもまして、ダイナミックな文化的生産性にあふれている。香りの歴史を考える際、20世紀初頭は香りの意義の転換期にあるといえる。香りは、宗教的、予防医学的な機能的なもの、食品にまつわる日常的なもの、あるいは瘴気のような不快なもの、香水のような文化的なものなど、様々な意味合いを持つのであるが、19世紀から20世紀への世紀転換期においては、香りは操作可能なもの、人口に作り出されるもの、または人工にデオドラントが可能なものとなってくる。すなわち香りは作り出されるべき創造的なもの、虚構性をおびたもの、美学的な価値を持ったものとして認識される。または悪臭であったとしても想像力の元に認識され、コントロールされるべきものとなるのである。このように、においの持つ、想像性あるいはフィクション性が浮き彫りにされると同時に、匂いに対する積極的な操作可能性が提示されるのも、モダニズムの時代の嗅覚的表象の特色であるといえる。

本発表では、嗅覚的表象とモダニズムの間に内在する関係を探ることによって、モダニズムの新たな側面を探ることが可能となるという仮定のもと、20世紀初頭の女性作家ヴァージニア・ウルフの文学、特にエリザベス・バレット・ブラウニングの飼犬フラッシュを主人公にした小説Flush: A Biographyを対象に、そこに表現された嗅覚的表象を考察する。